悔やむ時/良き隣人、友人が人間には必要!

◇土曜日未明、三軒隣の親戚筋のオバサンが救急車で運ばれたことは、掲示板に書き、ツウィートしました。残念ながらその日にお亡くなりになり、昨日、取りあえずと言いましょうか…お焼香をしてきました…。

ご夫婦には、ご近所に一人息子さんが居ましたが、老老介護となっていたようです。ほったらかしという意味ではありません。数年前からオバサンの具合が悪くなり、旦那さんが献身的に面倒を看ていたわけです。それなのに、「なぜ救急車を直ぐ呼んでやらなかったのか…悔やまれるんだ…」と涙ぐみます。話しによると、昼食のお弁当を食べてから不調を訴えたようです。

他のご近所の方々♀も来ていて、「○さん、それは仕方が無いよ!」と口々に慰めます。しかし話しが堂々巡りとなって、長い時間の繰り返し。よほどに堪えているのでしょう。

「自分には見栄があって、昼間、救急車を呼ぶことを躊躇した」

「あれが大丈夫というから…それを押して呼べば良かった…」

ついには「俺が殺してしまったようなものだ」と嘆きます…。

聞いていてとても辛い…。しかし、聞いて上げるのが故人に対する供養なのでしょう。

「お父さんは良くしてくれたから、そんな風に自分を責めないで頂戴。皆さん励ましてやって下さい」あの世に逝ったオバサンの声が聞こえた気がしました…。

悔やむ!という感情は、人間誰でもあります。歳を経ると、ようするに悔やみが蓄積されるのでしょう。そんな時、善き隣人、友人が、人間には必要なんですね…。

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