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信長、近代の軍人より凄い!

◇日曜日の午後、『NHK特集 私は日本のスパイだった ~秘密諜報員ベラスコ~』を見ました。34年前に放映され、多くの賞を受賞した作品だそうです。

太平洋戦争時、アメリカの情報をスパイするため、スペインで組織された「盗→のち東」のリーダー・アンヘル・A・デ・ベラスコなどの証言から構成された番組は、とても見ごたえがありました。

彼らは優秀で、超極秘であった原爆の情報さえ探り当て、日本に再三警告していた様です。昭和17年の南方戦線に関する情報では、例えば神父に成りすまし、出生前の軍人の懺悔によって情報を得たとか、まさにスパイ映画そのもの。

しかし、肝心の大本営がこれらの情報を処理できず、アメリカの反転大攻勢をやすやすと許し、兵力を小出しに投入して全滅させることを繰り返したのだとか…。アメリカの元情報将校がインタビューを受け、日本のこの抜かり=情報を分析・処理する部局が無い事を、信じられない(アバウントです)と語っていました。また日本側の元参謀も、「あるもないも、バラバラだった(アバウトです)」と証言しました。

◇◇尾張の小国主であった信長は、1560年 6月12日、桶狭間において駿河の太守・今川義元を破るという、戦国期最大の大番狂わせを実現しました。

この時の論功行賞に彼の天才性が伺えます。当時の常識は敵の大将を討ち取ったモノが一番手柄なのです。しかし選ばれたのは、義元の首をとった服部小兵太や毛利新助ではなく、梁田正綱という言わば情報将校でした。

ようするに信長の頭脳には、近代日本軍が持っていなかった情報処理部局に通じるモノがあった!ということに驚かされます。

多分、梁田は信長の直々の命を受けていたはずです。もし家来を中継させたら、情報を得たとしてもその価値に気が付かず、あー義元は食事中だ!で届かなかったはずです。また、周囲に休憩の情報が欲しいと漏らせば、奇襲の意図が見破られたでしょう。

天才信長は家来共を信用せず、いや近代日本軍でさえそうだったのですから、無理ですね。情報の収集を心がけ、分析し、奇襲をして一気に勝負を決める!と胸に秘めていたのでしょう。一騎駆もそうです。情報漏れを警戒しての行動です。

凄いなー!