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ピコ太郎の発想面白い!

◇「I have a pen~~!」と変な歌が流行っています。ピコ太郎さんのPPAP! これ、言わんとするところは面白いです。餡子とパンでアンパン。消しゴムと鉛筆合体で財を成す。リンゴと落下でニュートンの法則etc.

あるモノとあるモノが合体し別のモノ、ないし発明が生まれます。♂と♀が合体して生命の誕生しかり、合体による進歩はダーマの法則なのでしょう。ピコ太郎さんの歌?はコロンブスの卵ですね!

◇◇少林寺拳法も、眺めてみればこの法則が当てはまります? アイ・ハヴ・ア天=突き、アイ・ハヴ・ア地=蹴り、ウッ!=天地拳です。

ようするに天地拳は第六を除き、天王拳と地王拳が合体したモノです。個人的に、第一は特殊構造と思っていますが、今は置きます。

さて、演武は子供とやっても大人とやっても楽しめます。彼らを上達させることができます。私?6歳のY君と組めます。もちろんS先生、六段の門下生とも出来ます。しかし、基本形の選出が阿羅系と那羅延系、ないし昇段形?では不十分と思えます。

それで只今、研究中なのですが、子供も大人もダンスを楽しむように組める「基本演武形」が必要と考えます。さらに言えば、意識の追加、変換が必要です。

健康増進、護身錬鍛、精神修養は理解しています。これに、楽しさをどこに入れましょうか、(追記:合体させましょうか、)ということです。今のところ、天地拳系「(形」とどちらが良いか思案中)として、

Lesson①突天1、突天2

Lesson②天地拳1、突天3、蹴天3

Lesson③回蹴り、ないし逆蹴りから突天1、突天2

Lesson④回蹴り、ないし逆蹴りから天地拳1、突天3、蹴天3 *天地拳1は速く行えば天王拳です。③④は地王拳3、4が原形←訂正:順蹴り地3と逆蹴り地3の意味で、正しくは地3のみです

Lesson⑤飛び二連蹴りから①②

Lesson⑥順蹴り逆蹴りから①②

を基本形とし、且つmy演武としていれば、最低2構成、正規は競技ではないので4構成と、誰とでも簡単に演武を楽しめるでしょう。楽しく申し込むことができるでしょう。

ダンスにもワルツやタンゴなどがあり、同じように習得していれば誰とでも組める=楽しめるわけです。さらに義和拳系や白蓮系や柔法系がありますが、上の一例のみ挙げます。応用は基本形ができれば直ぐ出来ます。演武を、コミュニケーション・ツールとして活用しましょう!

写真は25日の土曜練習のモノです。Iさん/四段・私の右隣が久しぶりに顔を出しました。F支部OGのUさん(足首故障中)も4か月ブリかな。で賑やかに練習が出来ました。終わり頃、二階の住人=山門衆?のY君も帰って来て、皆で集合写真を撮りました。

 

 

 

世に争いの種は尽きまじ、か…

◇フェイスブックに以下の書き込みをしました。道院生からの書き込みがあり、それも付け加えておきます。知り合い、他人に限らず、ケンカの仲裁は実は危険な行為で、十分な注意が必要です。概して4通りあります。

①まあまあ!と下出に出て止める

②やめろ!と高飛車に止める

③いきなり止める

*これはすでに殴り合っている場合。しかし、優劣を見極めた方がイイ。中途半端で止めると、両方興奮しているのでやっかい。

④複数人で止める。①②③は一人の場合で、複数ならまだ安全?

⑤手に余れば止めに入らないで警察に通報

*暴走族やヤクザのケンカなど

◇◇ケンカの仲裁は、基本「ケンカ買います!」の気構えが無いとすべきではありません。その時、活人拳で対処しないと、自身がケンカの当事者にされてしまいます=暴行罪、傷害罪で逮捕されたら、何をか況やです…。

また、警察力を背景に止めた方がイイです。しかし、中には前科二十犯超などという強者?がいるので、注意です。言葉使いは丁寧に、理に逆らわず諭すように。女、子供と舐めてかかると、

「うちの亭主呼んで来るから!」←夫がヤクザ

「兄貴に言いつける」←暴走族がバックにいる

など、面倒になります。ケンカの仲裁と書きましたが、ケンカは避ける所以です。まあ、少林寺拳法の拳士なら大丈夫ですね! にしても、下は四歳児から上は古希を超える老人たちまで、「浜の真砂は尽きるとも 世に争いの種は尽きまじ」ですか…。

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T君の投稿をした後で、駅前のキャッシングに行ってきました。用事を済ませて出て来ると、ヤキトリ・カーが出て、ちょっと憩う場所がある百貨店の前で、老人が二人言い争っています。立ち止まって見ていると、もちろん他の人も見ています。

「ほんとにお前酒癖が悪いな!」

「何を!」

「俺と勝負するか!」

「……!」

片方の老人が相手の腕を掴む素振りを見せたところで

「やめろ! 手を出したら二人共警察に連れて行くぞ!」と、目を三角にして間に割って入りました。二人共、歳は私より少し上かな…。

ケンカの仲裁はとにかく両者を引き離す事! で劣勢の人に

「アンタ ここから離れなさい!」と抱きかかえるように離し、歩きながら「家はどこですか? 早く帰りなさい!」と諭しました。

まあ、私には恨みもつらみも無いので「ありがとうございました。私もペースメーカーを入れているので助かりました」と感謝されました。

危ないですね。ショック与えたら死んじゃうジャン! で、引き返して威勢の良かった人に

「どうも先ほどは失礼しました。あの方、ペースメーカー付けているらしいので、これからも気を付けて下さい」と忠告して上げました。

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「そんな場面に出くわした場合、私は多分、他の人同様に、我が身可愛さで傍観者だったと思います。
先生の様に行動出来るように鍛錬したいと思います」

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「赤の他人のケンカの仲裁はとても危険です。光りモノが飛び出す可能性さえあります。無理は禁物で、傍観は恥ずべき事ではありません。その様な場面に出くわしたら、携帯で警察に連絡して上げましょう!」

理の追求/クロスワードパズルに似たり!

◇母親を介護していると、興味深い事が沢山出てきます。そのうちの一つです。

すでに介護度3に近く、この間、判定のために県から職員が訪れました。まあ、調子が良い時は自分で起き上がろうとします。で、手助けしながら歩かせます。もちろん支え無しでは転んでしまいますが…コツがありました…!

身体を横使いさせるのです。

人間の意識は前に歩こうとします。しかし筋力が衰えた老人には難しく、また、支えるモノに掴まるのも難しく、転んでしまいます。これは掴む間合いが短い為と思われます。しかし身体を横に使えば、手を広げた長さは自身の身長分なので、間合いを大きく取れるのです。

「ハイ!身体を横に使って、そこを掴んで、足を寄せて、ハイまた次を掴んで、無理しないで」

「ハイ!今度は身体を反転させて、そう上手い!少林寺拳法みたい」

まっ、こんな感じで、トイレに行かせたり、食事の席に座らせます。

◇◇少林寺拳法にも、この身体使いの理/コトワリあります。提唱するのは、4点の水平使いと斜め使いです。4点とは肩関節と股関節に仮の点を付け、捻らない身体動作を指します。

これに、身体重心の移動感覚(5:5 6:4 7:3 8:2 9:1 10:0)と、身体回転の3感覚(中心点=独楽、コンパス、ハンドル)が加わります。

長い間研究してきた後ろ蹴り(180°回転、90°回転)が、これらが分かり容易に出来るようになりました。門下生の中にも、直ぐ出来るようになる人が現れ、驚きます。

◇◇◇理の追究は、「クロスワードパズルを解く様だ!」と思えます。ある事が分かって、関連して他の事が分かって、ついには今まで分からないことが分かります。

まっ、こんな感じで、日々の修行を楽しみ、少林寺クロスワードパズルを愉しんでいます!

*昨年の5月3日、写真の通り、道院の40周年、市医大の顧問の先生、門下生の還暦・古希祝いで、修行40年拳士3人と共に演武しました。義和拳第2の鶴立は、10:0の重心移動です。

 

宗道臣研究?の重要なテーマ??

◇開祖は「ワシが手塩にかけて育てた組織」と、少林寺拳法拳士集団を表現されたことがあります…。「普段は何事もなく過ごしているが、一丁事が起きた場合、さっと皆が集まる!(アバウトです)」。誇らしげに仰られていました。ようするに、日本人に横の繋がりの大切さ=団結の精神を教えようとされたのでしょう。

この前提には「日本人は砂粒のような民族である。一粒一粒は固いが、まとまることができない(アバウトです)」と感得された、先生の人生体験が元になっています。特に、終戦の引き上げ体験・混乱期の影響が大きいのでしょう…。しかし極限状態では、日本人に限らず人間に醜い部分が出るのは致し方ないと思われます…。

どうも、暴力に対する…なにか備えといいますか、対峙するための団結なのでしょうか…。してみると、荒廃した戦後の混乱期には求められましたが、世の中が平穏になった現在、団結力の用い方は違って来るようです。

◇◇元々、日本民族は農耕民族なので、各地には「結」という助け合い組織がありました。

 その点、動乱が茶飯事であった中国に生まれた「幇/パン」の共助とは、意味が違うようです。しかし先生は、ご法話の中で度々、幇を意識されたお話しをされました。ともかく、少林寺拳法では団結が教えの一つの柱になっていることは確かです。
小さな単位である道院でも、団結が無いと行事が成り立ちません。ただし、参加の無理強いはしません。してはなりません。無理強いしなければ出来ない行事は、その組織にとって手に余るモノ、ないし団結力不足による時期尚早なのです。少林寺拳法の行事=団結は、楽しい!幸せになる!ことが大前提と考えます。
 追記:思い出しました! 「日本人は同士討ちする民族」と言われたことがありました。「明治期の日本人は世界から尊敬を集めた」とも言われています。宗道臣先生の日本人観は、重要な一つの研究テーマですね。
新春演武会/法会は拳士諸氏の協力を得て、一部式典は厳かに執り行われました。
下の写真は私が撮影:前列左から道院生、市医大部員、フェリス部員、少年部が整列しています

SHALL WE ENBU ?

◇フェイスブック上で、先月29日、相棒のTさんと共に二段に受かった市医大4年生S君がその報告をした際、OGのMさん四段から返信があり、二人のやり取りが興味深く、成程!と閃きました。

二人ともおめでとう!機会があれば演武してみたいなぁ。検討よろしく」

ほ、、本当ですか?!是非是非、ご指導お願いしますm(__)m」

 

◇◇私は本HP『私の主張/演武の手引きⅠ・Ⅱ』、並びに『道院長の書きたい放題』や掲示板で、「育成演武」「交流演武」「マイ演武」など、演武の在り方を提案・模索して来ました。

でですね、昨日、市医大で上のやり取りを紹介していると、表題の言葉がフッと口に出たのです。とても新鮮な発見でした。勝負形では無い、少林寺拳法独自の組手主体の特性を得悟しました。

演武は、人と人との交流、コミニュケーションと言っても良いですね、の手段です。楽しく、華麗で、凛として、護身の要素、運動の要素、精神性の要素を持ち合わせます。しかし、往々にして特定した相手と組む帰来があります。特に競技となるとそうなります

 

◇◇◇今回発見したことは、自由に、もちろん気の合った相手と演武を組む心の大切さです。日々の練習や発表に、「SHALL WE ENBU ?」と申し込める在り方に気付かされたのです。一部で、演武を揶揄する人は演舞などと言いますが、殺陣は論外として、楽しく誘うダンスの要素もあったのですね…。

尚、これにはマイ演武があると良いです。只今、拳名を冠した基本形を開発中です。そう言えば、ダンスにもワルツやタンゴがありますね!

アメリカ大統領に無礼なモノ言いご容赦!

◇『トランプ氏は、一種の「愉快犯」ではないですかね。。。

大統領になってその性癖が悪化したら、、、核のボタン押せるのですから恐ろしいですね。。。

私は、彼は既に病んでいると思います!』

トランプ氏に関するこれまでの報道に接し、上の様に感じフェイスブックに投稿しました。一国の、しかもアメリカ大統領に無礼なモノ言いです。しかし、この歳まで人を観て来て、恐ろしいですがそう思えます。切に外れていることを祈ります。

 

◇◇最近「ナニナニ ファースト」という言葉を良く聞きます。トランプ氏の売り文句も「アメリカ ファースト」です。

一国のリーダーが自国の利益を優先するのは、分かります。ですが、それは言わずもがなの事で、超大国アメリカ大統領が口に出す言葉?と疑問です。

ようするにトランプ氏は、(素人の私見ですが)疑問なことばかりしている、と映るのです。「半ばは我身の幸せを 半ばは他人の幸せを」と言ったら褒めた、というか「ヨッ!名大統領」と声掛けしましたョ…。

*写真は本文とは関係ありません。土曜練習会のモノです。4名昇段受験の練習に来ています。

少林寺拳法の在り方は!

◇第二第四土曜の練習は、開始が普段の練習より1時間半早く、明日が休みなのでタップリ感の練習が出来るようです。午後6時半~8時半頃まで。

まあ、学生なら普段からゲップが出る?ほど練習しているでしょうが、社会人はそうは行きません。したがって、時間にゆとりを感じる土曜の練習は良いようです。もっとも、野暮用で忙しい!なんて人もいるかもしれません…。←内容を聞くのは野暮なので止めます。haha!

◇◇昔の体育会少林寺拳法部は週6の練習でした。強化練習となると午前と午後やっていました。普通の道院でさえ、週3は当たり前ではなかったでしょうか…。40年以上前の話です。ゲップどころかヘドが出たかな…。

しかしですよ、凄いなー!と思うのはオリンピック級の選手達。所謂アスリートの練習量は、昔の体育会をはるかに上回るようです。何が彼等をして、そこまでの練習をさせるのでしょう…。耐えられるのでしょう…。執念?意地?生活の為?

少林寺拳法は勝敗を争う事を目的とせず、自身の修養=護身錬鍛・精神修養・健康増進として取り組むのモノで在り方が違います。正しく認識したいですね。_dsc8400

「いくぞ!」「こい!」/活気の交換

◇平素の練習に於いて、特に少年部に表題の気合を掛け合いさせます。

拳士が演武をする際、活気を殺気と勘違いする人がいるようです。拝み合い、立て合い、という合掌礼を交わす演武で、やる気が殺気になってはいけません。やる気が無くてもいけません。攻防の技の交換は、攻撃の気と防御の気の交換でもあります。これによって「(やる)気」を養うのです。しかし、この感じがつかみにくいようです。

「いくぞ!受けろよ!」「来い!大丈夫だ。思い切って来い!」。こんな、お互いの気持ちの交換。活気の交換です。形の交換=演武は、どこを突き蹴りしても良い乱捕りではないのですから、攻撃も防御も気が集中しやすいのです。もちろん、攻防技は真剣な事が大前提。

◇◇真剣と書きましたが、剣道で真剣を使った形を思い起こして下さい。相手を斬りに行く気持ちではありませんね。そりゃー受け損なって斬られる場合が、あるいはあるかもしれません。しかし、明らかに殺気の交換では無いはずです。あえて言えば、真剣の気の交換なのでしょう。

話しが戻って、少年部の練習時、小1から中1まで私が相手になり、「いくぞ!」「こい!」と構えを付けてやっています。でもね、子供達が「やる!やる!!」というので…大変なんですョ…!

聖句の旧一番を復活したいですね!

◇現在聖句は二句ですが、過去に開祖のご意志により、何度か改編されています。「己こそ己の寄べ~」と唱えるようになったのは先生の晩年で、私は改編されたご法話に居合わせました。

当時は三句あり、「すべて悪しきことを為さず 善きことを実践し 自己の心を清むること 是諸々の仏の教えなり」を最初に唱えました。しかし、学校や公共施設を使用する支部、ないし社団支部だと宗教性が問題視されるので、「諸々の仏」とあった、この句を取られたのでした。

諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教/しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう――大般涅槃経

うーーん!残念でしたね…。何でかと言いますと、前回書きました「修行は、喩えるならメッキを塗るのではなく、川の浄化ではないでしょうか…?」。人の質の問題を教育的・修行的に考える時、川の水質浄化と大変似ている。すなわち、上の言葉は成功に導く!と感じられるからです。もちろん、現在の聖句一番=自己確立もとても大事な事です。しかしこれも、本来「自灯明・法灯明」なのですが…今は置きます…。

◇◇運営上、変えられたのでしょう…!? 

それなら、組織改革で宗教法人と財団法人を厳密に分けたのですから、実際、学生拳士は礼拝詞は読んでいないのですから、宗教法人拳士に「諸悪莫作」を復活させて、よろしいのではないでしょうか…。なんたって「卍」を変えたのですから、できるでしょう…。

少林寺拳法は、仏教が目指す解脱=悟りを目的としないように思えます。川の水質浄化=人の質を良くし続ける修行であり、継続が目的でしょう。油断すれば、浄化された川も再び汚染されるからです…。

「人、人、人 すべては人の質にある」…。人の質の問題を川の水質浄化に喩えると、私は横浜の掘割川の成功を身近に見ているので、悟りを想像するより、はるかに信じられるのです。

話しが戻って、聖句の旧一番を復活したいですね!

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土曜練習会の終了後に撮影!

Kさんが時間があるというので、Mさん、S君、私の四人で食事に行きました。_dsc8067

開祖のお言葉/私の中で一つになりました

◇少林寺拳法の思想と技法をいつも考えて来ました。過去形ではなく現在進行形です。

連休中、フェイスブック『少林寺拳法 横浜根岸道院と仲間たち』に以下の書き込みをしました。

「合掌は人を大切にする思いやりの心。平和の誓い(追記:であり構え)。尊重、協調の精神を表す。
結手は自分から先に手を出さない我慢の心。不戦の誓い(追記:であり構え)。忍耐、譲り合いの精神を表す。
何か、、、解けた様な気がしています! 
追記:さらに付け加えれば、合掌は愛であり、結手は力ですね。これで確信しました!」

上は、前回17日の書き込み『教えと願いを含んだ法形だからです】と連動します。二つを合わせると…正解に辿り着いた感があります…。すなわち活人拳では、合掌ではなく「合掌・結手」と表すと、これまで述べて来たことが合っていたと思えます。大変嬉しいです。

「半ば自己/ワガミの幸せを 半ばは他人/ヒトの幸せを」は、合掌と結手の精神を、開祖がお言葉にされたモノだったのです。

◇◇ついでながらもう一つ。「人、人、人、すべては人の質にある」のお言葉について。実はこれも「半ばは~」に連動しています。

ただ残念な事に、開祖はメッキの譬えをされたので、ちょっと分かり辛くなりました。「メッキだって、厚く塗って剥がれなければ本物になる(アバウトです)」。私はですね、この歳になって思うのですが、このお言葉だと、メッキの元は変わらないで良い!と受け取られかねません…。

修行は、喩えるならメッキを塗るのではなく、川の浄化ではないでしょうか…?

横浜では昭和三十年代、母親たちが子供の頃泳げたほどの堀川が死にました。ヘドロが干潟の様に盛り上がり、メタンガスが噴き出し、異臭が漂う、という酷い事になってしまったのを思えています。で、横浜市と市民は反省したのでしょう。ずいぶんと長い期間ヘドロを取り除く作業を行い、下水道を整備し、(多分)条例を定め、ゴミの投棄を慎むなどした甲斐があり、今では中村川あたりでも釣りをしている風景が戻って来ました。多摩川でもアユが戻った!と報じられていますね。

人の本質を変える修行は、別人に生まれ変わるのではなく、生まれた時の清流のような心を取り戻す行為ではないでしょうか。その浄化された人々に「合掌と結手の精神」を持たせ、世に送り出す、ないし社会に戻すのが、少林寺拳法の人造りと考えます。

「半ば自己/ワガミの幸せを 半ばは他人/ヒトの幸せを」と「人、人、人、すべては人の質にある」。上に述べた通り、私の中で一つになりました。